KINDAI UNIVERSITY


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鈴木 伸太郎スズキ シンタロウ

プロフィール

所属部署名総合社会学部 社会・マスメディア系専攻 / 総合文化研究科
職名教授
学位社会学修士
専門社会学、コミュニケーション論
ジャンル情報・メディア/メディアと社会
コメンテータガイドhttp://www.kindai.ac.jp/meikan/248-suzuki-shintarou.html
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Last Updated :2017/11/21

コミュニケーション情報 byコメンテータガイド

コメント

    今後求められるコミュニティーは既成のものではなく状況に応じて自律的に適切な形で形成・再編されるものである。そのためのコミュニケーション能力を社会の誰もが磨く必要がある。

学歴・経歴

学歴

  •  - 1992年, 立教大学, 社会学研究科, 応用社会学専攻
  •  - 1982年, 東京大学, 理学部, 物理学科

研究活動情報

研究分野

  • 社会学, 社会学

研究キーワード

  • 時間, コミュニケーション, グローバリゼーション

書籍等出版物

  • 変化と転換を見つめて, 鈴木 伸太郎, 共著, Ⅲ-11 自覚できない「恐怖」 自由から逃走しないために, 風媒社,   2016年03月, 978-4-8331-0572-9
    概要:フロム『自由からの逃走』のテーマは現実性を失っていない。脱埋め込みと再埋め込みの絶えざる過程に生きる現代人にとって世界と強い絆で結びつき、伝統社会の共同体の絆から解き放たれた社会の中でも自由を実現することができるのか?ジェインジェイコブズの「インプロビゼーション」の概念を手がかりに考察を進める。誰もが家族や共同体の絆を強めてもよく、目的追求型組織の中で絆を強めてもいいが、即興的に最も適切な選択を行うセンスが必要であり、それは「好きなこと」の追求をためらわない個人の中で育まれるものであろう。
  • 自然に向かう眼, 鈴木 伸太郎, 共著, Ⅱ-6 自然・社会・孤独, 風媒社,   2015年03月, 978-4-8331-0568-2
    概要: 思考を拒絶する自然との関係において、人間はむしろ高揚感や喜びを感じるものであるらしい。それは死を前にしてあらゆる思考が無効なのと似ているし、動物を前にして人間固有の思考が無効なのとも似ている。むしろこれらの場合に人間は原点に回帰するとも言える。近代社会における孤独の問題は、ほとんどが思考の問題に帰着するのではないか。このことをN・エリアスの『死にゆく者の孤独』に沿って批判的に検討する。
  • 日本文化の明と暗, 鈴木 伸太郎, 共著, Ⅱ-6 エリート主義否定の社会, 風媒社,   2014年03月, 978-4-8331-0565-1
    概要: 日本社会の、エリート主義に対して否定的な側面について考察し、それが隠されたポジティブな特徴を持ち、近代社会とは異なるタイプのあらたな人類社会の可能性に通じるもののひとつではないかとの考察を展開する。消費者主導の市場経済はエリート主義の否定を内在し、大資本の独占を許さないような発展がなされていくとすれば、現在は想像することが難しい大衆主導の社会につながっていくのではないだろうか。また、インターネットに対する従来型のマスメディアはエリート主義の道具であったことを指摘する。
  • 否定と肯定の文脈, 鈴木 伸太郎, 共著, Ⅱ-5 モチベーションの源泉としての自己否定, 風媒社,   2013年03月, 978-4-8331-0560-6
    概要: 現代社会に生きる人間のモチベーション・リソースのあり方について考察する。新自由主義的な「改革」は、この問題に関して根本的な解決策を提示できないために行き詰まらざるを得ない。新たなモチベーションリ・ソースの開拓なしには新たな社会を想像してみることはできない。それについて、伝統から新たに汲み出すものがないかどうか検討し、日本社会においては、モチベーション・リソースのひとつとして自己否定というものがあるのではないかという観点から論ずる。
  • 危機における共同性, 鈴木 伸太郎, 共著, Ⅰ-3 共同体形成力, 風媒社,   2012年03月, 978-4-8331-0556-9
    概要: 震災を契機に共同体のあり方が改めて問われているが、伝統的な共同体から抜け出した私たちの社会では、人間同士の特定の結びつきが固定化したものとして共同体を考えることには無理がある。むしろ状況と必要性に応じて共同体を適宜形成し、新たな結びつきを作り、また必要に応じてそれを解消していくようなダイナミズムが存在し、また必要ともされている。社会の成員はこのような「共同体形成力」ともいうべきものを養い育てていかなくてはならない。それは、見ず知らずの行きずりの人間であっても、他人から十分な関心を払ってもらえるような社会を作り出すことにつながるだろう。
  • 日本文化の攻と守(共著), 鈴木伸太郎, 共著, Ⅲ-12 思考の住処 「ゼロ思考」を超えて, 風媒社,   2011年03月, 978-4-8331-0550-7
    概要: 社会的な意義のある事業を構想・実行し、成功を収めた実業家の例を挙げながら、かれらの発想が出現してくる源について考える。思考は一見すると個人の営みのようではあるが、実はその個人を取り巻く人間関係、共同体とともに発生するものであり、共同体の性格が変質すると思考も変質せざるを得ない。機能集団が文字通り機能集団であれば、健全な常識を背景にした強力な思考は出現しない。経済発展によって機能集団が機能集団として純化してしまうと、思考が貧弱化するというジレンマが生じるのではないか。
  • 日本文化の中心と周縁(共著), 鈴木伸太郎, 共著, Ⅱ-12 地方から始まるかもしれないこと, 風媒社,   2010年03月, 978-4-8331-0548-4
    概要: 都会人が地方に行って「何もない」と感じる感覚を問題にする。都会人は刺激を遮断しないと生きていけない環境にあるため、時に感覚の覚醒を経なければ、豊かな精神生活や豊かなアイディアの出現はあまり期待できない。地方から出現するビジネスや、あるいは農業の革新などは、都会ではできないものもあるのではないか。りんごの木を丁寧に観察した結果農業に新しいやりかたをもたらした事例などを採りあげつつ、地方の可能性について論ずる。
  • 21世紀社会の視軸と描像(共著), お茶の水書房,   2004年, 978-4275003195
  • 「近代」と社会の理論(共著), 有信堂高文社,   1996年
  • ポスト・モダンの文化-技術発展の社会と文化のゆくえ-(共訳), ミネルヴァ書房,   1992年
  • 悪の問題(共著), 昭和堂,   1990年

MISC

  • 社会学が始まるまで, 鈴木伸太郎, 『ヘスティアとクリオ』No.8 コミュニティ・自治・歴史研究会, No.8, 71, 81,   2009年
    概要:時空間の「脱埋め込み」と「再埋め込み」のプロセスにさらされている現代社会の中で、個人個人の、意味を見いだす能力、およびコミュニケーション能力の重要性を示した論考
  • 現代社会理論における都市思想と都市文化 第Ⅳ章 モダニティの時空間と身体性, 鈴木 伸太郎, 平成 11 年度~平成 13 年度科学研究費補助金 (基盤研究 研究成果報告書)(76 頁~91 頁),   2002年
    概要:時間、 空間、 身体性の面から、 モダニティの基本的特徴を考えてみる論考。 ローカルな文脈から切り離し、 「空白の」 時間、 空間、 身体を構想するところに最大の特徴があるのではないかと論じた。
  • 教養の射程, 近畿大学教養部研究紀要, 32(3), 9-27,   2001年
    概要: 教養部で講義を行ってきた経験に基づいた、教養教育のあり方についての論考。どんな専門分野も根本まで遡れば教養的になる。大学教師が専門分野を根本まで遡る努力をすることが教養教育の意義であり、学ぶ者と教える者との双方に新たな知的体験をもたらすことができる。
  • モダニティの時間, 近畿大学教養部紀要, 31, 3, 49, 67,   2000年
    概要:後期近代社会とも言われる現代社会の時間のあり方についての論考。
  • 近代の時間と"民主化"された時間 -世界の時間論に向けて, 近畿大学教養部紀要, 29, 1, 1, 15,   1997年
    概要: 「近代社会の時間」の特徴として、一方でA.ギデンズのいう「空白の時間」(スケジュール帳を可能にする時間)という抽象的な時間の枠組の成立が指摘できる。他方で、近代社会に生きる人間の典型的な時間体験として「グローバルな同時性」の感覚(S.カーンが述べる「厚みを増し、空間的にも拡大した現在」)を挙げることができる。これは、言い換えれば過去現在未来のうちの現在に重点が置かれた時間体験であり、自分たちにとって意味のある「現在」は複数(そして無数に)あって、互いに密接に関連し合うという感覚である。これを「民主化」された時間と呼ぶこともできるが、すでに150年以上前にA.ド・トクヴィルが民主社会で人々が現在にばかり関心を集中することを問題にしたとき、この種の時間体験の原型を示唆していた。
  • 市民社会と「世間」, 近畿大学教養部研究紀要, 28, 2, 1, 16,   1996年
    概要: 西洋近代社会を念頭に形成された「市民社会」のモデル(特に「国家と社会との分離」)、またイスラム社会との対比によるE.ゲルナーの「モジュール人間」のモデルの検討を通じて、個人と個人が自由に関係を取り結ぶという面の弱い、近代的日本社会を理論的にどのように把握すべきかの問題を時間論的観点から論じた。日本社会における個人と集団との関係において、「個人の時間」が、個人の帰属する集団に譲り渡される傾向が顕著に見られる。工業社会化に十分なほど「近代的」な時間の把握をしながらも、時間を個人に属するものとは考えなかった徳川時代の農民の時間意識をT.C.スミスに依拠しつつ検討し、現代日本との連続性を主張した。
  • 「世間」の時間構造, 近畿大学教養部研究紀要, 27, 1, 21, 35,   1995年
    概要: 抽象的な「時計の時間」から具体的な体験的時間(E.ミンコフスキーのいわゆる「生きられる時間」)に焦点を移すと、E.ゴフマンの副次的関与(または時間の「ゆらぎ」)や、P.ブルデューのいう贈与・互酬関係の「時間間隔」の重要性などが見えてくる。これらに着目しつつ、「世間」の「義理」といわれるものの分析を試みた。その上で「世間」の人間関係は、「時計の時間」に支配される社会における「生きられる時間」の復権の手がかりとなる可能性を持つ、と論じた。
  • 近代社会システムと「世間」, 近畿大学教養部研究紀要, 26, 2, 37, 58,   1994年
    概要: システムの高度化をとげた市場社会は、生活世界における「コミュニケーション的行為」に対して複雑多元的な枠組みを提供する結果ともなっている。したがって、コミュニケーションのための枠組みが人間相互に齟齬をきたすような状況が増加する。日本社会のコミュニケーション・スタイルを、社会を構成する集団間の、齟齬をきたしがちな関係を調整する方法としてみることができる、と論じた。
  • 他人の視線-日本社会のコミュニケーションの構造を支配するもの-, 近畿大学教養部研究紀要, 25, 2, 1, 13,   1993年
    概要: 見知らぬ他者の目による「私」の相対化に対して弱い、日本社会の慣習行動に従えば、「他人の視線」にさらされると言葉も動作もぎこちなくなるか、あるいは紋切り型になり個性を失うかすることになる。「他人の視線」を意識する典型的な状況である「公の場」において、「建前」や「儀式」が重んじられ、自発性や意見の表明などが抑制される理由をそこに見いだすことができると主張した。
  • 「世間体」のコミュニケーション・スタイル-日本社会の文化変容の可能性についての試論-, 近畿大学教養部研究紀要, 24, 3, 1, 24,   1993年
    概要:民主主義的政治システムと市場経済的経済システムが国際的に展開する現代の条件の下で、日本社会の変容の可能性に焦点を当てて論じた。地縁・血縁から切り離された社会関係を形成することを強いられる都会生活のなかに、「甘えられる」関係を作り出したり、世間体を気にする態度を外国文化に対する好奇心に変えたり、他人への警戒感を他人との衝突を避ける文化に高めたりすることが、日本文化の特質を生かした現代の社会的条件への適応形態であると主張した。
  • 文化変容と「他者性」, 応用社会学研究, 34,   1992年
    概要:日本文化が普遍性を獲得するのは、異質な文化への関心を深めることで、日本文化がますます日本文化らしくなることである。個別の文化が、個別的なままで普遍性にも通じていることを、認識すべきである。私たちは、私たちの文化を鍛え上げて、「たんなる個別性」という限界を突き破り、普遍性への乗り越えを促す必要があるのである。それは、あくまで日本人のままでありながら、どんな文化に属する人の問題にも、理解を持って臨むことができるようになることである。

競争的資金

  • 日本社会のコミュニケーション文化に関する研究
  • 近代社会・特に日本社会における社会的時間に関する研究