松岡 久美子(マツオカ クミコ)
文芸学部 芸術学科造形芸術専攻 | 教授 |
Last Updated :2024/10/10
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平安時代から鎌倉時代を中心とする日本の彫像について(仏像・神像など)
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- 日本彫刻史
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平安時代から鎌倉時代を中心とする日本の彫像について(仏像・神像など)
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論文
- 京都・金剛院の快慶作執金剛神・深沙大将立像について松岡 久美子京都美術史学 4 39 - 72 2023年04月 [査読有り]
- 快慶の名乗りの意味と意義松岡 久美子『仏師と絵師 ―日本・東洋美術の制作者たち』(思文閣出版) 85 - 110 2023年03月
- 重源と行基ー『南無阿弥陀仏作善集』所載の行基像から四聖御影へー松岡 久美子ザ・グレイトブッダ・シンポジウム論集 18 83 - 99 2020年12月
- 深沙大将の源流と日本での受容ー平安後期までの動向ー松岡 久美子仏教芸術 3 79 - 96 2019年09月 [査読有り]
深沙大将の源流は、中国の国土に住して疫神的性格を備え、「浮丘」と並び称された鬼神「深沙」に求められる。この深沙に、童子の姿に変じて寺中の持経者に供侍する守護神としての霊験が語られ、この話中で持経者の前に正体を露見した際の姿が、のちの深沙大将の形像の基本となった。 また九世紀前半に江陵に祀られた深沙大将像に関連して、深沙大将を念じて水難を免れたという霊験譚が語られ、これを契機に俗人をも対象とする水上交通の守護神としての性格が加えられて、長江流域に信仰が広まった。蜀から江南にはもとより玄奘伝説が語られており、深沙大将の、持経者に供侍し旅路を守護する性格が、玄奘が西域で出会った「一大神」と結びつけられた。 こうして深沙大将は深沙大将は蜀地から長江中下流域に一躍信仰を広げたが、その時期は空海が帰朝した八〇六年以降、常暁が入唐する八三八年までの間と推測される。日本には常暁や円珍のほかにも複数の経路で深沙大将が請来され、そのうちの文字情報は実質的には深沙大将に関わる中国産の伝説群であった。 日本でも唐から請来された情報に基づく独尊の深沙大将像が造られたが、この状況が変化するのが平安後期で、現存作例中では、戟を執り、降三世明王とともに薬師如来の脇侍となる福井・明通寺像がその劈頭にあたる。この変化の背景には、日本仏教の正統性を模索する中で見いだされた、天竺の仏教と日本の仏教を結びつけ日本仏教の正統性を保障する存在としての玄奘の再評価が大きく関わるとみられ、ここに深沙大将の日本独自の展開の端緒が開かれた。 - 阿弥陀寺の二十五菩薩面と近江湖南の迎講松岡 久美子民俗文化 30 145 - 192 2018年10月 [査読有り]
- 松岡 久美子黄檗文華 136 44 - 63 黄檗山萬福寺文華殿 2017年07月
- ボストン美術館蔵 木造弥勒菩薩立像をめぐる諸問題松岡 久美子科研基盤研究(B)研究成果報告書(研究代表者・京都大学大学院文学研究科・根立研介)『美術史における転換期の諸相』 151 - 164 2015年03月
- 滋賀・八坂神社神像群について‐牛頭天王の図像と神像編年についての試論‐松岡久美子『仏教美術論集2 図像学Ⅰ ーイメージの成立と伝承(密教・垂迹)』(竹林舎) 302 - 317 2012年05月
- 聖徳太子の物部守屋討伐譚と山門の四天王法-四天王寺様四天王の受容をめぐって‐松岡久美子『方法としての仏教文化史 ヒト・モノ・イメージの歴史学』(勉誠出版) 325-363. 2010年11月
- 松岡 久美子美術フォーラム21 22 61 - 66 美術フォーラム21刊行会 2010年
- 萬年寺の文化財ー小野寺から黄檗寺院萬年寺へー松岡 久美子『栗東歴史民俗博物館紀要』(栗東歴史民俗博物館) 15 2009年03月
- 善勝寺本尊 木造千手観音立像の基礎研究光谷拓実; 大河内隆之; 児島大輔; 佐々木進; 松岡久美子『栗東歴史民俗博物館紀要』(栗東歴史民俗博物館) 14 2008年
- 諏訪神社の神像について松岡 久美子『栗東歴史民俗博物館紀要』(栗東歴史民俗博物館) 13 2007年03月
- 資料紹介 西田薬舗の看板松岡 久美子『栗東歴史民俗博物館紀要』(栗東歴史民俗博物館) 12 2006年03月
- 大宝神社の神像松岡 久美子『栗東歴史民俗博物館紀要』(栗東歴史民俗博物館) 12 2006年03月
- 椿井権之輔周辺による近世伽藍絵図について松岡 久美子『栗東・湖南の山寺をさぐる~忘れられた霊場の復元を通して』(栗東市文化体育振興事業団) 1 2005年03月
- 高野地区の文化財松岡 久美子『栗東歴史民俗博物館紀要』(栗東歴史民俗博物館) 11 2005年03月
- 滋賀常楽寺「絹本著色釈迦如来及四天王像」の主題について松岡 久美子『栗東歴史民俗博物館紀要』(栗東歴史民俗博物館) 10 2004年03月
- 資料紹介 佛眼寺本尊阿弥陀三尊像と『佛眼寺縁起』松岡 久美子『栗東歴史民俗博物館紀要』(栗東歴史民俗博物館) 8 2002年03月
- 松岡 久美子鹿島美術財団年報 20 463 - 470 鹿島美術財団 2002年
- 滋賀・善水寺四天王像について 持国天・広目天の二像を中心に松岡 久美子『栗東歴史民俗博物館紀要』(栗東歴史民俗博物館) 7 2001年03月
- 松岡 久美子研究紀要 22 155 - 183 京都大学 2001年
MISC
- 阿難陀のゆくえー棟方志功《二菩薩釈迦十大弟子》にみる伝統との距離感松岡久美子 民藝 (846) 30 -35 2023年06月
- 深沙大将について松岡久美子 薬師寺 (212) 7 -13 2022年06月
- 亀岡市域の仏教美術松岡久美子 『亀岡の名宝』図録(亀岡市文化資料館) 124 -131 2022年02月
- 作品解説『亀岡の仏像Ⅱ 亀岡市美術工芸品概要報告(彫刻・仏教美術)』 2021年03月
- 作品解説松岡久美子 『亀岡の仏像 亀岡市美術工芸品概要報告(彫刻・仏教美術)』 2020年03月
- 金仙寺の聖観音菩薩坐像について松岡 久美子 平成29年度 新潟市文化財調査概要(新潟市教育委員会) 27 -35 2018年11月
- 聖護院とその周辺の不動明王像松岡 久美子 『聖護院門跡の名宝』図録(龍谷ミュージアム) 2015年03月
- 長命寺穀屋の尼僧たち松岡 久美子 『絵解きってなぁに? 語り継がれる仏教絵画』図録(龍谷ミュージアム) 2012年10月
- 善勝寺本尊木造千手観音立像の年輪年代調査大河内隆之; 光谷拓実; 児島大輔; 松岡久美子; 佐々木進 日本文化財科学会第26回大会 研究発表要旨集 154 -155 2009年07月
- 村むらの寺からみる江戸時代の寺院復興松岡 久美子 『創造と継承―寺院復興』図録(栗東歴史民俗博物館) 2008年11月
- 修法の本尊からひろがる世界―常楽寺蔵「釈迦如来及四天王像」を例として松岡 久美子 『修法の美術―別尊法と別尊曼荼羅―』図録(栗東歴史民俗博物館) 2007年10月
- 近江西国三十三所の成立と展開松岡 久美子 『近江西国三十三所』図録(栗東歴史民俗博物館) 2006年10月
- 10・11世紀における天台の野洲川流域進出の一側面松岡 久美子 『近江の彫刻 ―湖南・甲賀の10・11世紀―』図録(栗東歴史民俗博物館) 2002年10月
書籍等出版物
- 筒井, 忠仁 (担当:分担執筆範囲:快慶の名乗りの意味と意義)思文閣出版 2023年03月 ISBN: 9784784220519 viii, 548, 31p
- 日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇 第13巻松岡 久美子 (担当:分担執筆範囲:阿弥陀如来像 京都 正法寺)2017年02月
- 日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇 第11巻松岡 久美子 (担当:分担執筆範囲:十二神将像 滋賀 善水寺)2015年03月
- 密教寺院から平等院へ 日本美術全集4 平安時代Ⅰ責任編集; 伊東史朗 (担当:分担執筆範囲:作品解説12件)小学館 2014年12月
- 釈尊と親鸞 インドから日本への軌跡龍谷ミュージアム (担当:分担執筆範囲:)法蔵館 2011年04月
- 近江愛知川町の歴史 第1巻 古代・中世編愛知川町史編纂委員会 (担当:分担執筆範囲:第6章第1節)滋賀県愛知川町 2005年12月
講演・口頭発表等
- 十六善神図における常啼と法涌密教図像学会第43回学術大会 2023年12月 口頭発表(一般)
- 重源と行基菩薩ー『南無阿弥陀仏作善集』所載の行基菩薩像を手掛かりにー [通常講演]松岡 久美子第18回ザ・グレイトブッダ・シンポジウム 2019年11月 口頭発表(一般)
- 金剛院の執金剛神・深沙大将像について ―二尊の組み合わせをめぐる考察― [通常講演]松岡 久美子第71回 美術史学会全国大会 2018年05月 口頭発表(一般)
- 栗東市・新善光寺の善光寺式阿弥陀三尊像について ―善光寺式阿弥陀三尊の「分身」をめぐる試論 [通常講演]松岡 久美子密教図像学会第28回学術大会 2008年11月 口頭発表(一般)
共同研究・競争的資金等の研究課題
- 日本学術振興会:科学研究費助成事業研究期間 : 2011年04月 -2015年03月代表者 : 根立 研介; 中村 俊春; 平川 佳世; 安田 篤生; 稲本 泰生; 深谷 訓子; 劔持 あずさ; 松岡 久美子; 宮崎 もも; 中尾 優衣; 田中 健一美術史の転換期の問題は、何を強調するかで、美術史の語り方が大きく変わってくることもある。本研究は、従来美術史で語られてきた枠組みを再検討するための試みである。 特に、大きな成果は、通常日本の古代末期に登場したとされてきた彫刻の和様の問題である。近年の日本史学の成果を取り入れると和様の成立は、中世初期とすることが可能かと思われ、和様は日本の中世期を貫く重要な様式であったことなどを明らかにした。また、この和様の成立には、中国の唐から宋への転換期の問題も深く関わることを明らかにした。
- 日本彫刻史